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長かった髪をバッサリ切った。
小学生の頃、いつも遊んでいたお気に入りの人形の髪がとても綺麗で、自分も伸ばしてみたくなったのが切っ掛けだったっけ。
あれからずっと伸ばし続けてきたけれど、それ以上特別な理由もなかったので、切ることに対してはそれほど抵抗もなかった。
ただの気分転換。それ以上でも以下でもない。

 

「うわ…っ、なにお前 失恋したの?!」

皆して口を揃えたかのように同じ質問を繰り返すのは何なのか。

『髪を切る=失恋』

お決まりではあるのかもしれないが、もっと他に言うことあるでしょって思うんだけど。
仮にそうだったとして、そんな大声で聞くなんてデリカシーが無さすぎてどうしようもない。
“だからモテないのよ”という文句は胸の内だけに留めておくけれど。

 

「残念でした。失恋なんてしてません」

にっこり笑って返すのはこれで何人目だろう。
顎より少し下のラインで切り揃えた髪が、歩く度に揺れるのはまだ慣れないけれど、
洗うのも乾かすのも格段に早くなったし、とにかく軽くなった。
髪の長さは侮れない。

そんな利点に喜んだのも束の間、怒涛の如く群がる友人達の包囲網に、朝から疲れ果ててしまった。
折角の気分転換だったのに。
こんな事なら切らなきゃ良かったとさえ思い始めてきたじゃない。

 

「おはよう。……髪、切ったんだ?」
「おはよう、不二くん。あ、失恋したんじゃないからね」

席に着くなり溜息を吐いた私は、
今日何度目かの否定の言葉を、先手とばかりに口をする。

「ふふ、まだ何も言ってないけど」
「だって口を開けば皆同じこと言うんだもん」

ただ髪を切っただけなのに、そんなに理由が必要なのだろうか。
そう問えば、どうだろうねと曖昧な笑みを浮かべ、「僕は気にしないけど」と続ける不二くんにホッとした。

やっぱり不二くんは他の男子とは違うなぁ。
同じ中学生とは思えないほど、大人っぽくて優しいしおまけにイケメン。
完璧すぎて逆に近寄り難いなんて言われていたりもするけれど、あまりそんな風に思った事はなかった。
こうして気さくに話し掛けてくれるのは、隣の席の特権なのかもしれない。

「長いのも良かったけど、その髪型も良く似合ってるよ」

こんなにサラリと褒めてくれる男子が他にいるだろうか。
今日初めて髪型についての感想をくれたのが不二くんだなんて、私はなんてラッキーなんだろう。
先程の鬱々とした気分が一気に晴れていく。
けれど、嬉しさに浸るばかりでまだお礼を言っていなかった事に気付いた私を待っていたかのように、不二くんの唇が動いた。

 

「 可愛いね 」

 

それは、私だけに聴こえる小さく低い声で紡がれた。
ありがとう、と伝える筈だった口を開けたままでいる私を見て、不二くんが柔らかく微笑む。
お世辞で言ってくれているのかもしれないのに、頬が熱くなるのを止められない。

「ぁ……ありが、と……」

赤い顔を隠すには丁度良かったと心の底から思った。
俯いた拍子にサラサラと揺れる髪が、不二くんの瞳から守るように隠してくれたから。

 

 

 

 

 

 

「はぁ〜今日の不二くんもかっこいい…」
「癒されるよねぇ〜あの笑顔」
「あの顔面を毎日拝めるのは幸せだけど、お陰で目が肥えすぎちゃってさ。最近は芸能人見てもときめかないんだよねぇ」

友人達と集まっての小声談義を行う昼休み。
同じく他の男子達と固まって食事をする不二くんの姿を、こっそり盗み見ながら私も異論なしと相槌を返す。

「……でもさ、やっぱりなんか近寄り難いよね」
「わかる。優しいんだけど一歩引いてる感じ?これ以上踏み込んだらだめだよ、みたいな無言の圧力あるよね」

 ──え、そうなの?

『勘違いさせないように、だけど相手が不快に感じない程度に距離を置いて接している』というのが、
友人達から見た不二くん像らしい。

皆、距離を置かれているように感じてるってこと?
ということは、そんな風に感じた事のない自分は、かなりの鈍感なのではなかろうか。
嫌がっている不二くんに気付かないまま、ひょっとして失礼な振る舞いを幾度もしてしまっていたかもしれない。

「どうしよう……不二くん怒ってるかも…」
「は?アンタ何かしたの?!」

白状しろと揺さぶられながら、再び不二くんを覗き見ると、丁度顔を上げた彼の視線とぶつかってしまった。
どうしようと焦っている間に、不二くんがにこりと微笑む。

ほら、こういう所だよ。
そんな笑顔を向けられて、どうして近寄り難いだなんて思えるのか。
寧ろもっと話したいだとか仲良くなりたいと思うのが普通じゃないのかな。

すぐに逸らされると思った視線は注がれ続け、最後は私の方が耐え切れなくなって、自分から逸らしてしまった。
一度下げてしまった視線を再び上げる勇気はなかったけれど、何となくまだ見られている気がして落ち着かず、手元のシュークリームに齧り付く。
ふわっと香るバニラビーンズが鼻を抜けていき、次いで程良い甘さが広がり自然と口許が緩んでしまう。
初めて買ったシュークリームは思いの外美味しくて、またひとつお気に入りのお店が増えたことを喜びながら、
クリームが詰まった最後の一欠片を私は頬張った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっき食べてたのって、何処かで買ってきたの?」
「え、あ、…シュークリーム?」

ひょっとして目が合ったと思ったのは勘違いかもしれない。
そう思おうと決めて午後をやり過ごすつもりだったのに、席に戻った途端それは脆くも崩れ去る。

 ──やっぱり見られてたんだ

「うん。凄く美味しそうに食べてたから気になって」
「ゔ…っ、恥ずかしいから見ないでよ…」
「ふふ、どうして?口一杯に頬張ってもぐもぐしてる姿が可愛いなって思って見てたのに」

そうやってまた軽率に可愛いとか言うのはやめて欲しい。
皆が言うような距離感とか、踏み込んだらいけないボーダーラインとか、鈍感すぎる私にはさっぱり分からないのだから。

「もぉ、揶揄わないで……。あのシュークリームね、最近新しくオープンしたパン屋さんで買ったの。
 美味しかったから帰りにまた寄ろうかなって思ってるんだ」

なんとか平静を装おって会話を続けるも、視線を合わせる事だけはどうしても出来なかった。
「揶揄ってなんかいないよ」だなんて不二くんは言うけど、絶対嘘。
だってそう言いながら凄く愉しそうに笑ってる。

「へぇ、パン屋なら他にも色々ありそうだね。辛いのも置いてあるかな?」
「不二くん辛いもの好きだったよね。それならカレーパンがいいかも!確かチキンとビーフ2種類あったと思うよ」
「それは是非食べてみたいな。……ね、僕も一緒に行っていいかな?」

突然の申し出に固まる私に向かって「だめかな?」と聞いてくる不二くんの本心はやっぱり読めない。
けれど断られないと思っているんだろうことはその顔を見れば分かる。
そして私の答えも決まってるんだ。

「……うん、いいよ。今日部活は?」
「今日は休みだから、学校終わったらすぐに行けるよ。ありがとう、……楽しみだな」

私も、とは言い出せず頷くことしかできなかったのは、彼の笑顔がとても優しかったから。
揶揄うような笑みではなく、柔らかで本当に楽しみにしてくれているんだなというのが伝わってくるような笑顔だった。

その後の授業は、隣の気配を無視することなど出来る筈もなく、ドキドキしすぎて全く集中できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーじぃー!ハンバーガー食べて帰ろ!」

HRが終わるなり走り寄ってきた菊丸くんの元気な声に、帰り支度をしていた手を止める。
確かあのパン屋にはイートインスペースもあったはずだから大丈夫。
ハンバーガーは置いてないかもしれないけど。
そう思って声を掛けようとしたら、不二くんに先を越されてしまった。

「ごめん英二。今日は先約があるんだ」

てっきり菊丸くんも誘うものかと思っていたのに、断るなんて意外。
菊丸くんだって大きな目をくるくるさせて驚いてるし。

「えぇぇ〜先約って?誰と?俺も一緒に行きたぁーい!ねぇねぇ不二ぃ〜」

チラッと此方を見る不二くんに、こくこくと首を縦に振る。
菊丸くんが一緒なら賑やかになりそうだし、二人きりという場面からも解放される。
変に緊張する必要もなくなる私としては大歓迎だ。

「うーん、誰かは秘密だけど……ごめん、デートだから」

バサバサバサ──ッ

とんでもない言葉が飛び出すから動揺してしまった。
鞄に入れようとしていた教科書達が床に散らばってしまい、慌てて拾い集める私の前に一冊のノートが差し出される。
誰が拾ってくれたかなんて見なくても分かるから、視線は上げなかった。

私が聞いてるの分かってて態とそういう発言をするのだ不二くんは。
そんなに愉しいのかな、私の反応って。
だって相手が不二くんだよ?
デートって言われたら普通は動揺するでしょ。
誰だってきっと私と同じ反応になると思う。

くすくす笑う声の主が恨めしい。
こっちは朝からずっと翻弄されっぱなしなんだから。
悔しいなぁもう。

 

 

大騒ぎしている菊丸くんの相手をしている隙に、先に昇降口に行ってようかな。
此処にいても遊ばれるだけだし、流石に連れ立って教室を出るのはマズイもんね。

席を立ちドアへ向かおうとした私は、追い掛けてきた友人に呼び止められ振り返った。

「ケーキ食べて帰ろうよ!新作出たんだって」

美味しいと評判の駅前のカフェは、私達が良く行くお気に入りの場所だ。
どのケーキもハズレがないから、新作もきっと
美味しいに違いない。
沢山揶揄われたお返しに、この魅力的な誘いに一瞬乗ってしまおうかとも考えたけれど、その考えはすぐに打ち消した。
楽しみだと言って微笑んだあの表情は、きっと本心を表していると思えたから。
悔しいけど、私だって楽しみだもん。

「ごめんっ、今日はちょっとダメなんだ」
「そっかー残念。何か予定でもあるの?」

逡巡した後、チラリと不二くんを見る。
何て答えるつもりなのかと期待されているような表情にも見えるけれど、やっぱり私には彼の本心は全然分からない。
周りから見た不二くん像と、私から見た不二くん像との違いは何だろうか。
近寄り難さも距離を置かれている感じもしないし、ましてやこの鈍感な私に怒っているわけでも無さそう。

優しくしてくれたかと思えば、冗談なのか本気なのか分からない言動で揶揄ってくる。
私の反応をそれはもう愉しそうに眺めながら。

とりあえず、彼に対して今言える事はただ一つ。
不二くんは、意地悪だ。

 

だから少しでも同じ気持ちを味わってよね。

 

 

「んー・・・・・・デート?」

「デート?!?!?」

語尾を疑問系にしたのは、単に言い切る勇気が出なかっただけだけど。
細やかな抵抗もどうせくすくす笑われて終わるだけに違いない。
そう思って彼の方を見た。

 

ほんのし返しのつもりで言っただけなのに──

 

あれ、予想と違う…
不二くんでもあんなに驚くことあるんだ。

いつもの細い目は開かれ、酷く驚いた顔の不二くんが此方を見ている。
教室にいる時の不二くんはいつだって余裕綽々だから、こんな表情をすること自体本当に珍しい事なのだ。
少なくとも私の知る限りではの話だけれど。

何だか彼の意表を突いたようでちょっぴり嬉しかった。
私だってやられっぱなしじゃいられないんだから。

 

そんな事を思っていると、彼の瞳がスッと細められた。
口許は緩く弧を描き、いつもの表情に戻った気もするが…何となく違うような気がして無意識に後退ってしまった。

 もしかして怒らせた──?

どうしよう…調子に乗り過ぎたかもしれない。
冗談で言ったのに、私が本気にしたと思って不快になったとか?
私だってあれを本気にするほど馬鹿じゃないよ。
そもそもそんな仲でもないし…
元はと言えば不二くんがあんな事言うからいけないんじゃ……って、人の所為にしたって仕方ないよね。

 とにかく謝らないと──

席を立ち此方へ歩いてくる彼から、また一歩後退りそうになる足をなんとか踏み留め、顔上げた。
不二くんとの距離が近付く。

意を決して口を開こうとしたその時。
私の横を通り過ぎ様に、

「 行こうか 」

と低い声が耳元へ囁かれたと思うと、そのまま手を握られる。
不二くんに引っ張られるがまま教室を出た私達の後方では、悲鳴とどよめきが上がっていたが、今はそれを気にしている余裕などなかった。

「ふ、不二くん…っ、行くって、どこへ…?」

「パン屋へ行くって言ったじゃないか」

足を止めた不二くんに倣ってその場に留まると、握られていた手も解放され寂しさを感じた。
掌の温もりを留めたくて、軽く握った拳を自らの胸に当ててみても、寂しさは無くならない。

「言ったけど……」

怒ってたんじゃないのかな?
よく分からない。不二くんの考えている事が。
あんな風に出てきてしまって、どうするんだろう。みんな絶対誤解してる。
私なんかと噂になったりしたら、困るのは不二くんなのに。

 

「それなら早く行こうよ」

背を向けていた身体を反転させた不二くんが、左手を伸ばし微笑んだ。

 

「デート、するんでしょ」
「す、…する!!」

伸ばされた手に、そっと右手を重ねる。
綺麗だけど、やっぱり私と比べると大きくて少し硬い。
長い指を絡ませるようにして繋ぎ直された手を、軽く揺らしながら歩く不二くんを見上げ思う。

 

貴方の考えている事は、やっぱり私には良く分からない。

不二くんはいま
どういうつもりで
どんな気持ちで
私と歩いているんだろう

デートをしようと言ってくれた意味も
こうして手を繋いでくれている意味も

まだまだ分からない事ばかりだけど

 

意地悪だけど優しい不二くんと
もっと仲良くなりたいなって
今は素直にそう思える

 

不二くんはどうだろう
私と同じ気持ちで居てくれたら
嬉しいな

 

 

「不二くん」
「ん?どうしたの」
「また私と……デート、してくれる?」

 

 

 

 

「──君としか、しないよ」

 

 

fin.

 

 

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