spider

 

 

「ハァー・・・」

誰もいない部室に紙を捲る音が響く。
図書室に篭りひたすら英文ばかりを追う毎日に、流石の脳も救難信号を発していた。
流れるような黒く長い髪の女性が浜辺に寝そべり、白地に花柄の布は申し訳程度に大きな丸い膨らみを隠していて、
誘うような視線をこちらへ向ける写真は中々に刺激的だ。

受験勉強の息抜きにと、クラスメイトから回ってきた雑誌の山に片っ端から目を通していた巻島は溜息を吐いた。
これだけあれば一人くらい好みのタイプが見つかるだろうと思っていたが、どれもこれも同じに見えて食指が全く動かないのだ。
こんな事は初めてだった。
グラビアが趣味と豪語するくらいだ。
それなりに読み漁ってきたし、欲を発する材料として使用することも少なくなかった。
それが今はどうだ。
どれだけ眺めても何も感じないとは──

「──男として終わってるっショ」

ぱらぱらと捲るだけの雑誌を閉じ机に突っ伏すと、再び唇から溜息が洩れた。
身体は刺激を欲しているというのに心が反応しないのでは、息抜きどころか悶々とする一方でキツい。

この靄を発散させる方法はあと一つしかない。
巻島は気怠い身体を起こすと、ロッカーからサイクルウェアを掴んだ。

 

 

 

 

 

 

がむしゃらに山を登り、気付けば二時間も経っていた。
頭も身体もスッキリしたお陰で漸く表情にも余裕が生まれた巻島の口角が上がる。
汗でベタつく髪を払いながら、部室のノブに手を掛けると ガタ──ッ と誰かが立ち上がる音がして、扉を開けた。
扉の先には、真っ赤な顔で見ていた雑誌を慌てて閉じる坂道の姿がそこにあった。

「何してんだ、お前……」

確か今日は休養日だと金城も言っていた。
敢えてそこを狙って来たというのに、依りによってどうして一番会いたくなかったお前が此処に居るんだ。
苛立ちの混じる問い掛けに怒っていると勘違いしたのか坂道が焦ったように立ち上がる。
その拍子に、雑誌がバサバサッと音を立てて滑り落ちた。

「す、すすすすみませんっっ!わ、忘れ物を取りに来たら朝には無かった雑誌があったので
 ま、巻島さんがいらしてるのかなと思いまして……ぁあああっか、勝手に見てしまってすみませんすみませんッ…!!」

そんな事は別にどうだっていい。
こっちは折角諸々発散してきたというのに、これではまた逆戻りだ。
床に散らばった雑誌を拾い適当なページを開いたところで坂道に手渡す。

「──坂道。これ見て、どう思った?」
「ぇええ?!どう、と聞かれましてもボ、ボクには刺激が強すぎて…、!」
「興奮したか?」
「こ、…っ?!い、いいいいえッ!!!ちょ、直視できなくてすぐ閉じてしまったので…!」

まぁ、そうだろうな。
坂道の事だ。興奮というより恥ずかしさの方が勝ってそれどころじゃねぇか。
今も両眼を閉じ巻島の胸へ雑誌を押し付ける坂道は、好奇心すら生まれないのかチラとも見ようとはしない。
予想通りの初心な反応に、坂道らしいなと思わず笑ってしまった。

「悪ぃ、聞く相手間違えたっショ」

いつまでも持っていたって仕方がないし、明日にでも他の奴に回そう。
ベンチに座った巻島は、汗で濡れた肌を持っていた雑誌で仰ぐ。
ぬるい風だが無いよりは全然マシだ。
風の心地良さを味わっていると、静かな足音が目の前でピタリと止まり、巻島は閉じていた瞳を開けた。

「巻島さんは──、」

ゆるりと上げた巻島の視線と、それを見下ろす視線が交差したのを合図に、坂道の口が動く。

「興奮したんですか」

何に、とは聞かなくても分かる。
だが今は正直そこには触れて欲しくなかった。

「…………するっショ」

普通は。

それなりに可愛くてスタイルの良い女が際どいポーズで写ってりゃ、そりゃ健全男子にとってはご馳走だろう。
そんなものには興味ありませんって顔してる奴だって、内心じゃどう思ってるかわかったもんじゃない。
坂道でさえ赤い顔で狼狽えるくらいだ。
興奮するしないは抜きにしても、何らかの反応はあるはずだろう。

「……けど、久しぶりに見たっつーのに、あんまイイ子いなくてよ。イマイチだったわ」
「い、いまいちって…こんなにたくさんあるのに……」

雑誌の山へと視線が動くのを追いながら改めて思う。
こんだけ積まれてりゃ、それだけ色んなタイプの女が相当数写ってるわけだし。
選び放題な状況だってのに一人も刺さらないとか、自分でも可笑しいって思ってっショ。

 だからってお前──

 

「なんて顔、…してるんっショ」
「え、っ、顔?!どん、…へ、変な顔、してましたか??」

赤くなったり青くなったりと忙しい顔をぺたぺた触っているその手を軽く引き寄せる。
たいして力は入れていないのに、簡単によろける坂道の身体はいつだって危なっかしい。

「嬉しそうな顔──、してたっショ」

ベンチに座らせた坂道の頬に、そっと掌を滑らせる。
指摘すれば狼狽えながらも、その顔はやっぱり緩んでいるようにも見えた。

「……ホッとしたんです」
「ん?」
「巻島さんが、他の女性に…興味を持たれなかったようなので……」

そう言って、巻島の掌に頬を擦り寄せ「良かったです」と嬉しそうに呟いた。

 全くコイツは、人の気も知らないで。

思ってる事を素直に口に出せるのは、お前の長所だとは思うがな。
あんまり真っ直ぐ来られると、困る時もあるんだよ。

「単に好みのタイプが居なかったっつーだけだ」
「好みのタイプ…ですか」

目に見えてしゅんとする坂道に苦笑する。
本当にコイツは分かりやすい。
まぁ、分かってて意地の悪いコト言っちまう俺も大概だがな。

寄せた眉間の皺を親指で摩ってやると、漸くこちらに視線が戻ってくる。

「ま、巻島さんの好きなタイプって、…どんな人ですか?」

知りたいけど知りたくない。
メガネの奥の大きな瞳が、不安そうに揺れているように、巻島には見えた。

 ──あんな雑誌の山見りゃ、そうもなるか

「不器用だけど真っ直ぐで芯が強い。いつも笑顔で好きなモンに一生懸命、でもすぐ泣くし落ち着きねぇし自分に自信が無さすぎるヤツ、だな」
「……、素敵な方、ですね…」

ここまで言っても分からないとは。
坂道らしいと言えば聞こえはいいが、そろそろ自覚して貰わないとこの先色々と心配なんだがな。

「クハッ。小さくて細い身体なのに妙に頼もしく思えちまう。……反面、危なっかしくて目が離せないけどな」

俯きそうになる坂道の顎を捉え、静かに唇を合わせる。
直ぐに離し唇のラインを親指でなぞると、坂道が目をまん丸にして巻島を見上げてきた。

「なに他人事みたいな顔してるっショ。……お前のこと、だろ」
「で、でも…!こんなに沢山の…やっぱり女の子がいいのかなって……」

まさか坂道と出くわすとは思っていなかったとは言え、場所が場所なのだから可能性は0ではなかったはずだ。
それなのに敢えて此処へ来た理由。
それは、少しでも坂道の気配を感じたかったからに他ならない。

「……言ったっショ。どれだけ女が居ようと、好みのタイプが居なきゃ意味がねぇんだって」
「それならっ!僕に…言って、下されば……」
「お前には次のレースが控えてる。金城達にとっても最後のレースだ。約束したろ?それが終わるまでは……」

なるべく顔を合わせないように。
そう勝手に決めたのは巻島だった。
そうしないと自制が保てそうになかったから。
会ってしまえば簡単に揺らいでしまうと分かっているからだ。

「僕は納得していません!だってもうすぐ巻島さんは……っ、……もっと一緒にいたいです。
 も、もちろん受験勉強のお邪魔はしません。傍にいさせてもらえるだけで…、っ」

最後まで言わせぬうちに、頭を引き寄せると坂道の唇を息ごと奪うように塞いだ。
僅かに開いた隙間を縫い、捉えた小さな舌と絡み合わせる。怖がらせないようにゆっくりと。
縋り付く手に指を絡めると、きゅっと握り返されて愛おしさが増した。

ちゅっ、とリップ音を立てて一度唇を離す。

「……傍にいたらこうされるって事、分かってるのか?」

これだから距離を置いていたというのに。
額をくっつけ啄むようにキスを繰り返す。
一度リミッターが外れるとどうしようもねぇな、と巻島は心の中で苦笑した。

「……分かってます。だから、…雑誌の女の子じゃなくて、僕と…してください」

赤く染まった顔をふにゃと緩ませる坂道に、堪らず顔を寄せる。
どれだけ見ても無反応だった身体の熱が、たったこれだけで熱く畝るなんて。

「ったく……責任とれよ、坂道」
「はい!」

コイツには本当に驚かされてばかりだ。
ただの後輩だったのに、いつの間にかすっかり巻島の心に住み着いている。
一度張り付いたら離れない。
坂を登る時のお前にそっくりっショ。

「巻島さん、大好きです」そう真っ直ぐに気持ちを伝えてこられるのは、やっぱり照れ臭い。
けれど、そういうお前だからこそ好きになったんだろうな。

「──家に連絡しておけよ」

無理はさせたくないが、どこまで我慢できるだろうか。
小さく頷くのを確認した巻島は、赤く濡れた唇に誘われるかのように、ゆっくりと唇を重ねた。

 

fin.

 

 

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